竹鶴、宮城峡、余市

竹鶴政孝 ものづくりへのこだわり 竹鶴ウイスキーについて 前編

ウイスキーが密かなブーム!?

ここ数年で、ウイスキーに注目が集められているように感じます。

NHKの朝ドラで「マッサン」が放送されたり、テレビのコマーシャルでハイボールをよく見かけたりと今ではちょっとしたハイボールブームがきていますね。

このハイボールというのは、実はサントリーが10年程前に多くの人にウイスキーを飲んでもらえるように流行らせた飲み方なんです。

このハイボールというのはウイスキーを炭酸で割った飲み物で美味しいですが、私はみなさんにウイスキーを他の飲み方でも飲んでもらいウイスキーを好きになってもらいたいです。

ウイスキー好きの私は、日本の皆さんにウイスキーを飲んでもらえることは嬉しい限りですが、居酒屋やレストランで飲むウイスキーだけでなく、プロがこだわり抜いてつくった最高のウイスキーも知ってほしいと思います。

 

ジャパニーズウイスキーの生みの親

そこで、今回は私のおすすめでもあり、ウイスキーブームのきっかけをつくった「マッサン」のモデルになった竹鶴政孝について説明していきたいと思います。

ウイスキーを飲むにあたって、そのウイスキーのできた背景を知ることは重要で、1人ウイスキーを味わいながらそのウイスキーがどのようにできたか想像して飲むと、何も知らなかった時とは味わいが変わって感じるんです。

ウイスキーづくりの工程を理解し、その工程で職人がどのような作業をし、完成するウイスキーの味にはどのように影響してくるのか、これを知ることができれば、今まで感じることができなかったウイスキーのコクや苦みを感じることができ、ウイスキーをもっと好きになると思います。

まずはウイスキーとは何かについてご紹介していきます。

 

ウイスキーとは

ウイスキーが麦から作られているお酒というのはほとんどの方が知っていると思いますが、一般的には以下のように定義されています。

「穀類を原料として、糖化、発酵の後に蒸溜をおこない、木製の樽で貯蔵熟成させてできるお酒」(サントリーホームページより一部抜粋)

 

こう書かれても分からないと思いますが、要するに麦や小麦などの穀類から麦汁をつくり、蒸留でアルコール度数を高め、樽で熟成したもののことを言います。

簡単にまとめてしまいましたが、これらの作業一つ一つのやりかたを少しでも変えてしまうと味が全然変わってしまうので、職人がポットスチルの温度や手順を徹底してこだわり抜いて製造しています。

 

ウイスキー製造の主な流れ

ウイスキーざっくりとした製造の流れはこのような感じです。

 

乾燥→糖化→発酵→蒸留→樽貯蔵→(ブレンド)

 

※詳しく知りたい方はニッカウヰスキーやサントリーのホームページなどで調べてみてください。

サントリーホームページ

 

ウイスキーの種類

ウイスキーといっても種類があり、国、地域によってできるウイスキーがまったく異なるんです。ここでは最も有名な5大ウイスキーについて簡単に説明していきます。

世界の5大ウイスキーは以下の5つです。

・スコッチウイスキー

・アイリッシュウイスキー

・カナディアンウイスキー

・アメリカンウイスキー

・ジャパニーズウイスキー

 

世界の5大ウイスキーになんとジャパニーズウイスキーも入っているんです!!

ここ20年くらいで、日本のウイスキーは世界的にも認められつつあり、品評会などでも高評価を獲得しています。

 

5大ウイスキーの特徴

・スコッチウイスキー:泥炭(ピート)が特徴のモルトウイスキー

 

アイリッシュウイスキー:大麦、大麦麦芽、ライ麦、小麦などを原料にしたウイスキー

 

・カナディアンウイスキー:トウモロコシを主体にしたウイスキーとライ麦を主体にしたウイスキーをブレンドしたもの

 

・アメリカンウイスキー:トウモロコシを主体としたバーボンウイスキー

 

・ジャパニーズウイスキー:大麦と穀類をブレンドしたウイスキー。スコッチウイスキーの製法の流れをくんでいる

 

ジャパニーズウイスキーはスコッチウイスキーと原料も製造方法も似ているんです。

これには、理由があり、「マッサン」をご覧になった方は既に知っている方もいると思いますが、竹鶴政孝がウイスキーの本場スコットランドでウイスキーのつくり方を学び、日本で初めてつくったからなんです。

そのため、ジャパニーズウイスキーはスコッチウイスキーの製造方法とほぼ同じようにつくられているんです。

 

ジャパニーズウイスキーの誕生

ニッカウイスキー株式会社

今でこそ、ジャパニーズウイスキーと言われていますが、そういわれ始めたのもここ20年くらいのことです。

日本のウイスキーの歴史は浅く、1900年代前半はあまり人気もなく日本では製造もしていませんでした。

ウイスキーを日本に流行らせたのは、この題のタイトルにもなっていますが、竹鶴政孝さんです。

イミテーションウイスキーは出回っていましたが、竹鶴政孝は、当時働いていた摂津酒造の阿部社長の命を受け、本物のウイスキーをつくるために本場スコットランドに留学に行きました。

当時スコットランドでは日本人は珍しく、スコットランドに着いて間もなくは現地の方に受け入れられず、ウイスキーの製造方法をまったく教えてもらえず、やらせてもらえるのはポットスチルの掃除だけでした。

そんなことを数か月続けていると、ある1人の老職人がウイスキーづくりの核であるポットスチルの扱い方、ウイスキーのつくり方を教えてくれたのです。

この老職人のおかげで、日本で初めてウイスキーをつくることができたといっても過言ではないです。

 

ジャパニーズウイスキーの誕生

そして、1920年ごろに竹鶴政孝がスコットランドから持ち帰った技術で、日本で初めて本格ウイスキーを製造しました。

単身でスコットランドに向かい、2年間の長いようで短い時間をウイスキーづくりに捧げました。

しかし、帰国後、摂津酒造では会社では売れるかわからない上、原酒を熟成させ販売するまでに時間がかかるウイスキーを製造する余裕がありませんでした。

このような理由から、竹鶴政孝は摂津酒造を退職することを決意しました。

その後、竹鶴政孝が化学教師を務めているとき、寿屋(現サントリー)の鳥井信治朗が竹鶴政孝を勧誘したそうです。

このような経緯で竹鶴政孝が工場長を務めた後、日本初の国産ウイスキーを完成させました。

それから程なくして、商売優先の鳥井信治朗に対して、職人気質の竹鶴政孝は、意見がぶつかることもありました。

自分のつくりたいウイスキーがつくれず、自分の思い描いたウイスキーをつくりたいと思うようになり、寿屋を退職して自らの会社(ニッカウヰスキー)を設立しました。

 

後編では、ニッカウヰスキーを設立後の話を中心的にご紹介していきます。

 

後編に続く
竹鶴政孝 ものづくりへのこだわり 竹鶴ウイスキーについて 後編

 


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